2018 リスト

Feliz año nuevo.
明けましておめでとうございます。

お久しぶりなんですが、
スペインの友人に面白いものをもらったのでこのブログに添付して展開します。

スペイン語の練習にしてみてください。
ちなみに、私も一生懸命埋めてます。

2018年も良い年でありますように!

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バルセロナから学んだこと

バルセロナの独立運動が日本でも、ニュースになってるようで。

こちらマドリードでも、スペインの国旗をマントのように体に巻いた老若男女を街にで見かけるようになりました。独立反対デモに参加してきた人と思われます。

バルセロナには、私がまだまだ知り尽くせない、彼らの歴史があり、スペイン軍に負けスペイン王国になってからも様々な差別を受けてきたんだと、それの何が民主主義だと、主張しているのではないかなと推測します。(て、私もよく勉強できないのですがw)

私個人的には、賛成でも反対でもないのですが、
私みたいに、今のことで頭がすぐいっぱいになってしまう人間からすると、

なぜ、何十年もの昔の思いは(特に憎しみとか悲しみ)世代を越えても、色褪せず人の中に残り続けるのだろう。。と、
そこに、興味を持ちます。


それは両親や社会からの教育なのでしょうが、
なぜ、世の中は人を憎む様な教育をするのか。

それは、自分たちが被害を受けたと思うから。
それは、’自分たち’という一つの団体(仲間)があったと思うから。。なのかぁ。と思ったりします。

でも、今の社会、
自分がどこかのグループに属しているという感覚は果たして、約50年以上前の時代から色褪せずそのまま残っているのか。。。疑問。。

例えば、よくあることですが、

名前聞くだけで、なんだか嫌いな国てありますね。特にお隣さんの国とか、あんまり好きとは言えない。
そんな漠然なイメージは、
でもある日、困っていた自分を助けてくれたそのお隣の国の○○さんという名前を持ったひとりの人物により、簡単に変わるのです。
そして、個人は好きだけど、団体で見るとちょっと。。て、思ったりする。


私たちは、漠然と、各個人がどこかのグループ(国であったり宗教であったり。)に属していると思っている。

実際属してはいるんだと思いますが(笑)、
でも、選挙すりゃ、アメリカもイギリスも真っ二つに別れるご時勢。(という意味で、バルセロナの90%独立支持はすごいですねw)

普通に生活していても、その違う国からやってきた個人に簡単に出会うような今日この頃。

いくらイスラム国がアメリカを嫌いでも、彼らのケータイや電化製品や生活用品にアメリカの部品が入っていないとも限らない。(本当に入ってないかもしれないけど。)

なんか、グチャグチャですが、
何を思ったかというと、
一つのまとまりに見える団体でさえ、個人に分かれていて、そして、もはや、その個人の生活はモノやいろんなものを介して他のグループの個人と繋がっているということ、です。

とうことで、
実はみんな繋がって生きてるのに、
イメージに囚われて、対立して生きようとする。

人間て、おもしろいなぁ、
と動物たちに思われていると思う。絶対に。

バスの真ん中の窓側の席

今日も、
いつもと変わらず、バスに乗り、仕事場までやってきました。

いつもと少し違うのは、
8月なので、朝の出勤時間にバスに乗る人が半分くらいなこと。(8月は会社が休みなことが多いです)

一番に、空のバスに乗り込んだ私は、
一番お気に入りの、バスの真ん中の二列並んだ窓側の席に座りました。
ストップボタン近いし、出口(真ん中にあります)に近いので好きなんですよね。

そして、私に続いて2人くらいゾロゾロと乗ってきた人たち。

と、そのうちの一人のおばあさんが(ちょっと体の重そうな。)、私の隣の空いている席に、重そうな腰をおろした。。
そして、私にニコリと笑う。

周りの席はガラ空きです。
もちろん、おばあちゃんたちのためであろう、特別シートみたいなものもガラ空きです。

おばあちゃん、

なぜ、ここなんだ。。。と。

思いつつ、私も笑顔を返す。


そしてバスは5人くらいの乗客で出発。
15分もしないうちに、私が降りるバス停にやってきました。

おばあちゃんに、

ごめんなさいね。
私は、早くに降りるから、最初に座る場所変わればよかったね。。

と話しかけると、

あぁ、何言ってるの。気にしない。気にしない。

と、その重そうな体をのしりと持ち上げ、私を通してくれました。


ありがとう。 とあいさつすると、

よい1日を。

と、また笑ってくれました。


バスを降りて、
そうか、今日はいい1日になるのかもしれない。
そう、思いながら、嫌な会社(笑)までの道を歩きました。

そして、考えてみた。

なぜ、私は、自分の横に人が座るのを敬遠したのか。
(他の席はガラ空きの状態で)

キット、
このおばあちゃんのやりとりが面倒だと思ったからだと思う。

ごめんなさい、と言ってどいてもらう。
わざわざ、おばあちゃんを立たせて、そして座らせて。

申し訳ないし、面倒だし。

でも、この国の多くの人たちは、
それを面倒だとは思わないようです。
とういか、そんなことまで考えてない気もします。(笑)

キット、あのおばあちゃんも私と同じで、
バスの真ん中のあの二列の席が、
彼女の特等席だったのかもしれない。

では、
実際、一見面倒に見えたことは、
本当に面倒だったのか。。。

いや、そんなことはなかったです。
正直、おばあちゃんの言葉はどれもうれしかった。
彼女と関わったことは、
少なくとも、今日の気分を変えてくれる、良い出来事でした。

ということで、
面倒なことをしないと、得られないものが
あるということだ。

ということを今日、勉強しました。

便利なこと、面倒でないことは、
いつも一見、魅力的ですが、面倒なことをするからこそ、得られるものを奪ってしまう。

この今日の出来事も、明日になれば忘れる、大したことではないですが、

この国は、他人のことを対して気にせずに、
だからこそ、人と人が関わり合って生きている。

こうやって、いろんな人と関わることの累積が、
ここに留まる大きな核を成しているような気がしたりする、今日でした。

働かない潔さ(笑)

もうすぐ日本はお盆ですね。

こちら、スペインマドリードは、8月は経済がほぼ止まった状態になります。

うちの会社は8割の人間が8月まるごと1ヶ月休暇を取ります。残りの2割の人間も、少なくとも2週間の夏休みをとるのがルールです。

色んな交渉の場で、
よくスペイン人は自分の休みを相手に宣言して、
休みに入ると本当に音信不通になります(笑)

それに対して、こちらにいる日本人の私の友人が、

その潔さに、美を感じる。

と言っていました(笑)

1ヶ月休みをとっても、家族を持ち、家を持ち、暮らしていく人たちがいること、そういう社会が存在することを、日本のみんなは知るべきだ、と言います。

私も、それには賛成です。


ちっとも働かない=不真面目な奴ら

と終わらせるのは、もったいな研究材料だと、私も思います。

不真面目=仕事への責任感が足りない=だからスペイン経済が悪いんだ

という結論を、私も数年前には出していたんですが。。

私は、GDP3位の日本から14位のスペインに移り住んだわけですが、

正直、日本人から見て、スペインの会社は組織としての機能が全く回ってないです。

悪魔でも皆、個人プレー。
人のやることにチーム責任というような感覚は、ほとんどないです。


ですが、それでも14位なんですよね。

そのうちメキシコに抜かれ、他の国々に抜かれるでしょうが、
彼らは、それでも1ヶ月の夏休み休暇を取り続けるでしょうね。

その潔さ。

その潔さを、悪く見ることもできますが、
よく見て学ぶこともあるのではないかと、思います。

みんな1ヶ月イタリアの島とかに休暇用のマンション借りて、のんび〜り過ごすんですよ。


日本は日本のままでいいかもしれない。

でも、せめても、
自分たちは、そ~ゆ〜生活を選ばないとう判断をしたと思って欲しいなと。

そもそも、その判断をするために、そ~ゆ〜生活があることを、知って、考えてみて欲しいな
と思うわけです。

スペイン語の学び方 気分を伝える

久しぶりになってしまいました。
そして、久しぶりついでに今日はスペイン語を少し。

今日は、Que tal ?どう?元気?の返しの色々を。。
なんだか、Que tal ?と聞かれると、どんな状況でもbien 元気!と答えてしまいがちな我々、日本人ですが。

スペイン人は、感情を隠したりはしないので、
答えて方のレパートリーが半端なく多いです。

でも、一番無難で一番多いのは、
Bien :元気だよ。 
であることは事実です。
これを、返すと、だいたい、次の話に移ります。

では、それ以外、様々なバージョンをご紹介します。

いまいちなとき。

Regular .. : 微妙 みたいな返答です。

Pues.. aqui estoy. : と言うだけの人も結構います。
例えば仕事場で、週末明け、月曜に同僚からque tal ? と聞かれる。うれしくもないけど、ひとまずここにいるよ。という感じです。


次は、

疲れてるとき。上から下へバージョンがアップします。

Estoy cansada/o. :疲れてる

Estoy quemada/o. : quemarは燃えるという動詞です。直訳すると、私は焦げているとなります。なんか、すり減っているという感じです。

Estoy sobrepasada/o. : sobrepasar 超えるとか上回るという動詞です。表現的には、限界を超えてしまったという感じです。

ここで、注意しておかなければいけないのは、
Bien という返答以外は、必ず、相手から

Que te ha pasado ? どうしたの?何かあったの?

と質問が返ってくることです。

ちなみに、立場が反対の場合も、どうしたの?と聞くことは、スペイン人同士であれば、相手を気にしている証になります。ので、聞きましょう。(笑)

そうすると、おそらくなが~い話しが繰り広げられます(笑)

でも、スペインではそれがかなり普通で、
感情表現が少ない人を奇妙だと思う傾向があります。
いいも、悪いも、うれしいも、悲しいも言わない人は、何を考えているか分からない。。=怖い
となることが多いです。

なので、感情を表す表現はたくさん知っておくに越したことはありません。

幸せになる一番簡単な方法。

スペインに来て、
いろいろ人生を学んできた気がするんですが、

最近、スペインの皆からの一番大切なメッセージを見つけた気がするんです。

それは、昔から、

シェアーメイトのスペイン女子によく言われてきた、または、付き合ってた男にもよく言われてきた言葉で。

スペイン人なら、よく言う。

その言葉の裏側に隠れている、
奥深いものが、最近理解できる様になった気がして。

たとえば、、
喧嘩して、怒って、
どうしてそーゆーことするの?!と吐き出した私に、

たとえば、、
それは、社会では通用しないよ!とか、
だから、みんなに文句いわれるんじゃん!とか、
正論を言おうとした私に、

いつも

いつも

いつも

返ってきた同じフレーズ。

Es que yo soy como asi !

あんまり、直訳でイメージを崩したくないのですが、

だって、私はそ~ゆ〜人なの!

みたいな。日本語になるのかな。


昔は、
このフレーズが本当に嫌いだった。。(笑)

子供か!! みたいに更にイラッ。


ずっと、私が正しいんだと思っていました。

なぜなら、みんなも同じ意見だろうから。

なぜなら、社会で上手く生きていくための、
目には見えない秩序の話をしているんだ、と思っていたから。


でも、

ある日。気づいたことがあって、、


自分はこうである

と主張する人間は、

誰からも、ほぼ傷付けられない=激しく強い人間

ということです。


私たち、日本人はよく承認要求が強いと言われますね。

小さい頃から、行動に対して評価を受けてきましたね。

テストで良い点とって偉いとか。
足が速くて、すごいとか。
ピアノを10年続けて、立派とか。


それに比べて、スペイン人は存在を褒められて育ってきた種の人間の集まりです。


小さい頃から、

あなたはなんてカワイイの!と言い続けられる。

あなたは、あなたでいいのよ。と言い続けられる。


だから、みんな

僕は、私は、
ここが、人と変わっているから、時々ある種の人には嫌われるけど、でも僕は、私は、僕だから、私だから。それでいい。分かってくれる人が周りにいればいい。

また、
僕は、私は、このままでいい。

そんな発想になるのです。

だから、みんな、なんだか幸せそうで。


一方、私たちは、なりたい自分と、今の自分に差があって、悩んだりする。

ウジウジしたくないのに、ウジウジする自分が嫌いとか。

細かいこといいたくないのに、細かいとこばかり気になる自分がイヤとか。

引きこもってばかりで社交的でない自分をどうにかしたい。ウジウジとか。

解決は簡単。


それを、あっさり認めることです。
許すことです。

人にどう思われるか、、嫌だな、、
なんて、考えないこと。

このままじゃいけないじゃないか、なんて思わないこと。

理想の自分になれなくて悩みだしたら、
さっさと、ま、いいか。これが偽りのない今の自分なんだと、許すこと。


本当にこのままじゃ許せないと、
もっと心から自分が求めることは、悩むことなく、自分が果敢に挑戦しつづけてることです。

そーゆー自分にとって本当に大切なことは
悩む余地なく行動しているはずです。


なので、
行動に移らない小さなことは、
今の等身大の自分だと受け入れること。

自分が自分の味方になってくれれば、
他人からの攻撃に傷つきもしないし、他人に頼りきった幸せは必要なくなります。

誰かが、何かしてくれないと幸せになれない。

という考えは、いつまで経っても幸せが遠すぎるw

ただ、自分を許して、認めて、こんな自分にも、自分を活かした生き方があると、思えれば、
案外、文句なく幸せな日々となるものだと、


スペイン人から学びました。

スペインの文化:お客様にはサービスよりストレスを

先日、お昼休み時間を使って、銀行に行ってきました。

ドアを開けると長い列。

スペインの銀行は一般的に、
cajaと呼ばれる支払い等を受け合ってくれる窓口と、
mesaと呼ばれる、口座開設、ローン、投資などの相談にのってくれる机を構えて座ってる人たちと、
2つの機能にザックリ別れます。

そして、良く混んでいるのはそのうちのcajaと呼ばれる窓口。
水道代を払いにきたおばさんとか、
高額のお金を下ろしたいおじさんとか
並んでるわけです。

なのに対応している銀行員はたった一人。

そして、
これも本当によーーーくある光景ですが、
Mesaは客がおらず、ガラガラ。。

日本人の心が残っている私としては、

ほら、Mesaにいる銀行員さんたち、
Caja手伝ってよ。もう30分も待ってるんですけど。
と、思う。

でも、その長い行列を見つつも、
絶対、そこに応援に行こうとしない銀行員さんたち。
ちなみに、Caja対応している銀行員も同僚に助けは求めません。


ここには、大きなスペインの会社文化が現れています。

まず、一に、
自分の責任範囲以外は、決してクビを突っ込まない。

そして、第二に、
僕らは、会社の顔ではなく、ただの雇われです。
会社に文句があるなら、支店長にでもお問い合わせ下さい。
という意識。


さて、ここで気になるのは、
この国では客はどうやって生きているのか、

例えば、
私が列に並んでると、
前後のおばさんが、すごく嫌そうな顔で、
長くない?と話しかけてきます。

で、私が、
そもそもなんで一人で対応してるんでしょう?

と、答えると、

本当よね。
時間ないのに。。

そう内々で文句は言いますが、決して銀行側にクレームはしない。

なぜなら、クレームしても何も起きないことを知っているから(笑)

つまり、
この国は、客が耐える国なのです。

もう少し詳しく紐解くと、
なんだか少し社会主義の匂い残る感じがします。

すべての会社がそうなわけではないですが、
特に老舗の会社や、お役所関係は、
まさしく。クライアントには媚びることはない。

なぜ媚びないのか、それはコンペティティブであるか、もしくはコンペティションをする必要がないから。

つまり、自由市場の匂いが薄いのです。

弱いものが強いものに食われる、資本主義社会の傾向は、これから強くなるとは思いますが、
なかなか、メンタリティを変えるのは難しそうで、食われてから、もう遅いことに気付く。。
てな感じがします。

さてさて、
こんな社会で生きていて、悪いことばかりではない、と信じて(笑)

最後に、いい面も考えてみました。

例えば、
忍耐力はかなりつきます(笑)

仕事する側として考えたら、
仕事のストレスはかなり低減します。

日本では、仕事においてありとあらゆる責任を見積もり、行動しなければいけない。

でもスペインは、自分の決められた責任範囲以外は、心が痛みもしないわけです。
(でも、実際スペインの会社で働いてみても、心が痛むのでストレスはスペイン人よりは溜まりますが。。)


この国で、だいぶ生きてきて、
腹が立つことは山ほどありました。

でも、いいか悪いかじゃない。

世界が違うんだ。

生まれたところが違えば、
犬もご馳走になるし、うさぎもご馳走になる。
うさぎがよくて、犬が悪いのか。

いいか、悪いかじゃない。

世界はたくさんの色を持って存在するんだ。

と思うことが自分のためになります。