語学の早い習得方法。

私がスペインにやって来たのは2012年の9月。もう3年以上前です。

 

スペインに来る前に、スペイン語、初級の本を買いました。

 

マラガまでの飛行機の中で、頑張って ウノ、ドス、トレス と覚えるも、

トレスまでが精いっぱいで、終了。あとは寝ました。

 

語学学校は1年通ったのですが、最後の3か月はインターンシップで、出版会社で働きました。

その後は、マラガの大学院へ行き、滞在1年半で、本格的に会社で働きだすこととなりました。

 

すべて、駆け足で進みすぎたので、途中で苦しむこともたくさんありましたが、

なんとか、生きてこうして、スペインで働いています。

 

特に、一番つらかったのは、1年後に通い出した大学院。

語彙レベルが未熟で、教授の言うことは分からず、クラスメイトに聞くも、アンダルシア弁が分からず、結局わからない。。(笑)

あの頃、かなり苦しみました。

 

いい歳こいて、泣いたこともあります。

ゴールへの道が全く見えない戦いでした。

 

 

語学習得に関しては、いろんな側面からのアドバイスがありますが。

 

語学力は、時間が経てば誰でも成長するものだおと思います。

 

ただ、語学学校では、授業の流れがとても速いので、

動詞の活用等、覚えることの多いスペイン語は得に、息が詰まります。

 

でも、語学習得に関わらずだと思いますが、

ちょっと辛いことくらいをやるのが、習得のスピードアップになります。

 

語学学校でも、自分よりも話せる人たちのクラスに居るとか。

スペインにいるのなら、買い物はもとい、銀行、警察は、一人で行くとか。

スペイン語で電話をかけてみるとか。

 

ハラハラする思いは、語学を覚える大きなきっかけとなります。

 

そして、余計な心配はいりません。

語学は、時間をかければ、確実にレベルアップしていくからです。

 

語学は、学習するパートと、練習するパートに分かれると思います。

どちらも、バランスよく、タイミングよくやっていくことが、

上達の早道です。

 

日本人は学習するパートに、非常に力を入れます。

ただ、いくらお勉強していても、ネイティブの使い方を制覇することはできないんです。

 

そもそも、言語を学問として学ぶというのは、キット限界があって、

言語のルールというのは、人によって、実際はどんどん形を変えられてしまうものだからです。

よって、勉強して学べるのは、もっともベーシックな部分だと思います。

ルールが、ルールとして留まっていられる部分とでもいいましょうか。

 

そこから、人は、使いたい様に語学を使ってしまうのです。

 

よって、

ある程度、その言語の仕組みが分かってくれば、

あとは、ネイティブの人の言うことを真似するのが一番

 

スペインにいるなら、

買い物の時、前にいる人と同じフレーズを使ってオーダーしてみるとか。

スペインにいなくても、

歌の歌詞や、ドラマなどのセリフなどを、復唱してみるとか。

 

あまり文法のこと等、気にせず、

 

こういう場面では、こういう言い回しをするんだな、とか。

あんな顔するときには、こんなセリフが出てくるのか、とか。

 

実際に使っている人から学ぶ段階にいくことが、とても大事だと思います。

 

 

私のセオリーですが、

 

歌をうまく歌う人は、最終的には語学をうまく話すようになると思います。

それは、ただ、歌の様に、聞こえてくる音をコピーするのが上手いからです。

 

小さい子供が、なぜ言語を身につけられるか、

それは、何も考えないからです。

大人の様に、動詞が、形容詞が、、なんて考えないからです。

 

よって、

どれだけ、マネができるか、

挑戦してみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スペイン語の学び方  命令形の使い方 2

余談ですが。

昨日明け方にスペインで地震を体験しました。

震源が地中海だったので、私の住むマラガでは震度3。

地震は初めての人が多く、混乱。

それを見て、私は、恐怖。

震度3で混乱するなら、震度5では、町がどうなるか、、、心配。。

 

ま、それは、おいといて。

 

昨日、友達に

Vienes conmigo a la compra ?  私と一緒に買い物行く?

 

A ver ....  そうだなぁ。。

 

と迷っていると、

Vale, ahora me dices ! わかった。じゃ、後で教えて。

 

そういわれました。

これも、こちらの人が良く使う、命令刑の一種です。

 

文法的には、普通の文なんで、

Me dices は「あなたは、私に言います。」というのが直訳です。

 

でも、状況的に、こういわれると、

「じゃ、私に言うよね。」と念を押されている感じで。

 

一度、スペイン人に確認したことがありますが、

Me dices は Dime と言うより強い命令になるとのこと。

 

でも、友達間では、よく使われます。

Imperativoの代わりに本当に使われます。例えば、

 

Me pasas la botella, por favor. そのボトルとってください。

Me cuentas lo que ha pasado.    何が起こったのか教えて。

Luego me llamas.    後で、私に電話して。

 

親切に言いたいときは、Por favor とつけること。

 

もっと、丁寧に言う場合は、(お店やレストランなどで、見知らぬ人相手の場合)、

Me puede を使うとよいです。

 

Me puede traer la carta ?   メニューを持ってきてもらえますか?(レストラン)

Me puede pasar a Juan ?    Juanにつないで頂けますか?(電話)

 

以上、よく使う命令、お願いの文でした。

 

 

 

 

スペイン語の学び方  命令形の使い方 1 Imperativo

2週間くらい前に、新しい、日本人の友達ができました。

ときどき、来ます。日本人の留学生。うれしい。

 

彼女の今の試練は、スペイン語の動詞活用。必死で覚えてます。

時間が経てば、よく使うものから、自然と覚えるものですが、学校の進むスピードは半端なく、やはり、頑張って覚えるしかないわけです。

 

そして、活用形を大して覚えてないのに、容赦なく授業は進み、

過去形が終わってしまい、もうImperativo命令形に突入したそうです。

 

昨日、呼び出されて行ったCafeteriaで、学校のテキスト広げて待ってました。真面目だなぁ。

10点満点の宿題、0点。 わかる。。そういう時期があるw

 

ところで、本当に命令形使うのかょ!と、文句が出そうですが、、、、、

 

使います。

 

というか、この国は、命令だらけw

お願いというより、命令w

 

スペインで暮らしだして、すごく腑に落ちなかった、彼らの、命令だらけの文化です。

でも、ここでは、人にお願いをする気持ちをもちながら、命令形を使うんだ、と、納得。

 

 

ではでは、友達や家族間にとどまらず、一般的によく聞く、命令、およびお願いを紹介します。

 

まず、パン屋さんや、郵便局みたいな、列を作ってサービスを受ける場所に行くと、

店員に言われるのが、

 

Dime 

真面目に直訳すると、「私に言え!」

気持ち的には「なんですか?」

 

(Usted)と相手にみなされて、言われる場合は、

 

Digame

気持ち的には、「お伺いいたします。」

こちらは、電話でもよく、もしもしの代わりに使われます。

 

ちなみに、DecirのImperativoの活用は、

Decir  イレギュラーな活用

afirmativo
(yo) -
(tú) di
(usted) diga
(nosotros) digamos
(vosotros) decid
(ustedes) digan
(vos) decí
negativo
-
no digas
no diga
no digamos
no digáis
no digan
no digas, *digás
 

でも、使うのは、目の前にいる(あなた)又は、(あなたたち)への命令になるので、

 

(Tú)として相手に言う場合は、Di(あなた)、Decid(あなたたち)

(Usted)と、相手を少し敬って言う場合は、Diga、Digame

 

この2つくらいしか使わないわけです。

 

 

また、日常生活で、スペイン人が本当によく言うのは、

 

No me digas (eso)...

「そんなこと言わないで。」

 

 

この辺の、フレーズは丸暗記するのがいいと思います。活用を考えずに言える様に。

 

 

そして、買い物で、コレくださいと言う時は、

 

Ponme  un trozo de pollo. - (Túの場合)

「鶏肉一切れください。」*Ponerは「置く」という意味ですが、食材の買い物、レストランでの注文でもよく使われます。

 

または、

Dame un trozo de pollo.

「鶏肉一切れください。」

 

でも、

Pongame / Deme un trozo de pollo. (Ustedの場合)この言い方は町では、あまり聞きません。

 

そのかわり、丁寧にいう時は Por favor を使います。

 

Ponme  un trozo de pollo, por favor.  

「鶏肉一切れください。」丁寧バージョン。

 

Ponder イレギュラーな活用

afirmativo
(yo) -
(tú) pon
(usted) ponga
(nosotros) pongamos
(vosotros) poned
(ustedes) pongan
(vos) poné
negativo
-
no pongas
no ponga
no pongamos
no pongáis
no pongan
no pongas, *pong ás
 

Dar イレギュラーな活用

afirmativo
(yo) -
(tú) da
(usted) dé
(nosotros) demos
(vosotros) dad
(ustedes) den
(vos) da
negativo
-
no des
no dé
no demos
no deis
no den
no des

 

 

 

 

 

 

 

そして、スペインのお宅にお邪魔して、ご飯をごちそうになるときに、

よく言われるのは、

 

No me traigas nada !

「何も、手土産はいらないからね!」

よく言われます。でも持っていきましょう。手ぶらは見た目が悪いとされます。

スペイン人は、本音と建て前が違う人種です。

 

食卓では、

Come come !! 

「どんどん食べなさい」

これも、とてつもなく言われます。

 

帰りには、

Llevate algo ! 

「何か、持ってきなさよ。」残ったものは、お持ち帰りしていきなさいと言われます。

 

 

 

と、今日は、この辺にして。

いつも、命令されながら生きているのでした。

 

Comer ノーマルな活用

afirmativo
(yo) -
(tú) come
(usted) coma
(nosotros) comamos
(vosotros) comed
(ustedes) coman
(vos) comé
negativo
-
no comas
no coma
no comamos
no comáis
no coman
no comas

 

 

 

 

 

 

llevar ノーマルな活用

afirmativo
(yo) -
(tú) lleva
(usted) lleve
(nosotros) llevemos
(vosotros) llevad
(ustedes) lleven
(vos) llevá
negativo
-
no lleves
no lleve
no llevemos
no llevéis
no lleven
no lleves, *llevés
 

海外で生きる難しさ。

だいぶ昔の話になりますが、

会社で一緒だった先輩が、一か月に一回くらい、お昼前になると、ケータイを片手にハローとか言って席をはずしていたことがりました。

 

誰からの電話だろうと、除き見していると、

それは、彼のお姉さんからの電話だと、隠さずに教えてくれました。

 

彼のお姉さんは、20代半ばでオーストラリア人と結婚し、オーストラリアに住んでいるのだと。

 

いいなぁぁぁぁぁぁぁあ

 

そう、うらやましそうに言っていたのですが、

私と、とっても仲良かった先輩には、「お前は、いい日本人を見つけて、結婚しなさい」

とよく言われたものです。

 

今なら、そのアドバイスは、とてつもなく愛がこもっていたと、思ったりします。

 

先輩がそう言ったのにも、ちゃんと訳があって、

彼のお姉さんは、3ヵ月には一回、日本に帰りたいと、電話をしてきていたのです。

 

今なら、そのお姉さんの気持ち、他の人より分かる気がします。

 

日本に住んでいると、

海外に住みに行くというオプションは、あまり頭をよぎりませんが、

 

日本を出た瞬間から、

私たちは、日本で住むというオプションを、永遠に持って暮らすことになります。

 

めんどくさいのは、

その住む場所が嫌いとか、人に飽き飽きするとか、そういうことではなくて、

そのオプションと共に、永遠に生き続けるということだと、思います。

 

どこにいても、

嫌なことも、うれしいことも、苦しいことも、楽しいことも、あるくせに、

くじけそうになるたびに、日本に戻ることを考える。

 

海外在住年数が増えるにつれて、そのオプションは影をひそめますが、

それでも、きっと、またいつか、その思いはやってくる。

 

キット、

自分の好きなこと、自分が選んだことと共に生きる人たちは、

同じ思いになるのかもしれませんが、

 

最後は、いつも、自分との相談です。

どこまで、いけるか。

どこまで、つづけられるか。

間違っていないのか。

自分に、一体、何をしてほしいのか。

 

こんな地味な戦いを、地中海の見える海岸に住む日本人たちは

持ってたりします。

 

海外に住むと、色んな常識を覆されます(笑)

そして、いろんなことを、考えさせられる。

日本程に、安定した様に見える生活は得られない。

 

でも、それでも、海外は魅力的だと思う。

 

語学力の壁は、時間が必ず解決してくれます。

文化の壁も、ある程度は、時間が解決してくれます。

 

そして、いつの間にか、知らぬ間に、自分らしさというものを、自分が発掘している。

 

刺激というよりは、

自分という人格と、自分の目指していくものが安定していく感じが、

回りの環境がどんなに変わっても、

きっと、最後には大切なものは見失わずにやっていける、という自信に少しづつ変わっていく気がします。

 

それこそ、真の安定ではないかと。

 

 

と、

がんばれ、自分。

と思いながら、今日も夕焼けの地中海をズート眺めているのでした。

 

チャンチャン。

 

 

 

 

 

 

スペイン語の学び方 褒め方

語学のレベルに関わらず、困るのが、感動の表現方法であったり、エモーショナルなコミュニケーションの仕方だったりします。

 

どういうことかというと、なんか素敵なものをもらったときや、見たときに

どんな言葉でリアクションすればいいのか。。それはこちらで日々生活していても、中々身に付きません。

 

ということで、スペイン人がよく使う褒め言葉を今日は、ずらりと並べたいと思います。

 

生まれた、友達の赤ちゃん/子供を見に行ったとき、

 

Que guapo ( 男の子に対して) なんてイケメンなの といった感じでしょうか

Que guapa ( 女の子に対して) なんて美人さん   といった感じでしょうか

 

どんなゴリラみたいな顔してても、一先ずみんな、この言葉で褒めます。

 

 また、

人や、本、劇、映画等に感動したとき、

 

Que linda / lindo 

 

英語で言うところの、「How sweet

対象が人の場合は、なんて、優しいの!とういう感情が入っていたり、

対象が本などの物語の場合は、なんて、すてきなお話しなの!という感情が入っていたり。

 

Tu regalo era muy lindo.  あなたのプレゼントは、とても素敵でした。

と、言うと、スペイン人喜びます。

 

lindo」「bonito」や「guapo」とは違って、ビジュアルを評価するというよりは、

内容を評価するときに使います。

 

続きまして、

ショッピング中、素敵な服に出会ったら、

 

Que mono / mona 

Que bonito / bonita 

 

「mono / mona」は「cute / pretty」といった意味でつかわれます。

「bonito / bonita」は「beautiful」といった意味でつかわれます。

*一番始めに出した例の、赤ちゃんや、子供に対してかわいいというときには、

なぜか mono や bonito よりも guapo / guapa を使います。

 

 

そして、友達が試着して、とっても似合っていたら、

 

Te queda (super) bien !   とっても似合ってるよ !

 

 

 友達/彼を、とてつもなく褒めるときは、

 

Tu eres guapa / guapo.   あなたは、美人/イケメンだよ。

Tu eres divina.   あなたは、とっても魅力的よ。

 

 

以上、やたらと褒めるスペイン人の、褒め方でした。チャンチャン。

 

 

 

 

 

 

 

 

スペイン語の学び方 線過去と点過去

 もうスペインに来て3年以上。スペインの会社で働き出して2年近く。

まだまだ、仕事場でも学ぶことが多いのですが、

今日、同僚のスペイン女子に線過去点過去の使い分けを注意されました。

 

えぇ~みんなごちゃまぜに使ってるじゃない。。と少し反論したくなりましたが、

正してもらえるうちに、学ぼうと。

 

今日私が書いたメール。お詫び文です。

 

× Perdona, que no miraba tu correo. 線過去×

あなたのメールを見ていませんでした。ごめんなさい。

 

そして、正解文。

  Perdona, que no miré tu correo.  点過去○

あなたのメールを見ていませんでした。ごめんなさい。

 

彼女の注意点としては、メールを見るという行為は一瞬の行為であって、

過去の継続した行為ではないと。。

 

確かに。。

 

こ~ゆ~とこ、

スペイン人はちゃんと、使い分けてるようです。

 

例えば、

 

彼が家に戻ってきた日は、雨だった。

El día que él volvió a la casa, estaba lloviendo.

 

この例題は、「彼が家に戻ってきた日」という過去の一点をさし、その時の状況(継続している状況)を線過去で表しています。

(こういう例、よく学校で出てくると思います。)

 

また、実際は以下の様な使い方もあります。

 

線過去の例:

 

Me lo decía mi madre. 

私の母は、よくそれを言っていた。

Yo veía ese programa de televisión.   (el programa: masculino)

よく、そのテレビ番組を見ていました。

 

といった感じで過去の習慣等も線過去で表現できます。

 

点過去の例:

 

Yo te regalé un reloj que te gustaba, a que si *? 

あなたの好きな時計、あげたよね?

(*a que si ? : 友達間で、同意を求めるときにかなり、使います。半分Siと言えと言わんばかりの感じで使われます。)

 

Yo lo ví anoche!

昨夜、彼を見たよ!

 

点過去は、言い換えると、一回で完結するできごと。

と言う感じでしょうか。

 

 

と、今日はこんな、線過去と点過去の話でした。

前半にも、言いましたが、人により使い分けのルールはあいまいな

ところがあります。ので、果敢に間違え、直してもらいながら覚えるのが

ベストだと思います。

 

以上、何かの、助けになれば。

 

 

やりたいことの見つけ方。

やりたいことの見つけ方。

 

あの、みんなが崇めるSteve Jobsは、

If you havent found it yet, keep looking nd dont settle.

こんな風に言いましたが。

 

旅をつづけながら、老眼と、足腰の筋肉の衰えと戦いながら、

自分探しをしている人を見ると、なんともいえない気持ちになります。

 

 

やりたいことの見つけ方。。

 

私が、スペインへ来てみたのは3年前。

 

東京のあるアメリカ系の会社で働いていた私。

 

私が働いた5年くらいの間に、2回、大きなリストラがありました。

対象は、いつも50代以上のベテランな人たち。

 

早期退職希望者を募集する形で、

うらでは、たくさんの人が上から肩を叩かれたようです。

 

仲よくさせてもらっていた先輩も、そのうちの一人となり、

私の先輩は、その時の素直な気持ちを私に打ち明けてくれました。

 

気付けば30年近く。

必死で働いて。

30歳後半には子供を諦め、40代半ばには結婚を諦め、仕事一筋でここまでやってきたのに、

いざ、50を過ぎで、不本意に仕事を失った時、

じゃ、次も同じ職種を諦めずに探したいかとエイジェントに聞かれると、ハイとはっきり答えが出てこない。

 

30年間、気付けば、目の前の納期だけに追われて、ここまで来てしまったのね。

 

 

それを、聞いた時。。。。

 

やりたいことは、ちっとも知りませんが。

少なくとも、自分のこの今の時間は、自分で決断したことに費やしていると、思って生きよう!

 

と。。。。なぜか、スペインに来てしまいましたw。

 

でも、別に。住む国を変えたからといって、やりたいことは簡単には見つからない。

 

 

ただ、

 

 

3年居て、分かってきたのは、

 

どんなに、スペイン男に騙されても、

ビザ取得に、2時間の行列×3日費やした結果、私用で電話を1時間もするお姉ちゃんに、ビザはとれるか分からないわ~と軽く、かわされても、

どんなに、丸亀製麺の釜玉うどんが恋しくなっても、もちろん友達が恋しくなっても、

 

朝、会社へ行く薄暗い町を見ていると、海外にいるんだな とちょっとうれしく思ったり、

飛行機でスペイン上空を飛んでいると、乾いた大地と岩山に わくわくしたり、

 

そんな、小さな、頼りない気持ちが、

もしかしたら、やりたいことや、好きなことへの道しるべではないかと。。

 

 

やりたいこと、とは。

 

どれだけ好きか と測るより、

どれだけ、諦められずに来てしまったか と、そんな見方をすると

 

案外見つけ出せるものかもしれないと、思ったりするんです。

 

 

有名な登山家たちも、

「なぜ山に登るんですか? という質問に答えはない」

 

と、言っていたように、

 

「登山の最中、いつも引き返すことを考えて登っています。でも、ある地点までくると、もう引き返せないと思って、頂上を目指すようになる。」

 

と、言っていたように、

 

みんな、ひと段落し、振り返れば、強い思いを語れたりしますが、

 

当事者である最中は、頼りなく、弱虫な自分と戦っていたりするんではないかと。

 

 

ただ、最後に止めきれなかったことが、私たちに残ったりするんでしょう。