海外で生きる難しさ。

だいぶ昔の話になりますが、

会社で一緒だった先輩が、一か月に一回くらい、お昼前になると、ケータイを片手にハローとか言って席をはずしていたことがりました。

 

誰からの電話だろうと、除き見していると、

それは、彼のお姉さんからの電話だと、隠さずに教えてくれました。

 

彼のお姉さんは、20代半ばでオーストラリア人と結婚し、オーストラリアに住んでいるのだと。

 

いいなぁぁぁぁぁぁぁあ

 

そう、うらやましそうに言っていたのですが、

私と、とっても仲良かった先輩には、「お前は、いい日本人を見つけて、結婚しなさい」

とよく言われたものです。

 

今なら、そのアドバイスは、とてつもなく愛がこもっていたと、思ったりします。

 

先輩がそう言ったのにも、ちゃんと訳があって、

彼のお姉さんは、3ヵ月には一回、日本に帰りたいと、電話をしてきていたのです。

 

今なら、そのお姉さんの気持ち、他の人より分かる気がします。

 

日本に住んでいると、

海外に住みに行くというオプションは、あまり頭をよぎりませんが、

 

日本を出た瞬間から、

私たちは、日本で住むというオプションを、永遠に持って暮らすことになります。

 

めんどくさいのは、

その住む場所が嫌いとか、人に飽き飽きするとか、そういうことではなくて、

そのオプションと共に、永遠に生き続けるということだと、思います。

 

どこにいても、

嫌なことも、うれしいことも、苦しいことも、楽しいことも、あるくせに、

くじけそうになるたびに、日本に戻ることを考える。

 

海外在住年数が増えるにつれて、そのオプションは影をひそめますが、

それでも、きっと、またいつか、その思いはやってくる。

 

キット、

自分の好きなこと、自分が選んだことと共に生きる人たちは、

同じ思いになるのかもしれませんが、

 

最後は、いつも、自分との相談です。

どこまで、いけるか。

どこまで、つづけられるか。

間違っていないのか。

自分に、一体、何をしてほしいのか。

 

こんな地味な戦いを、地中海の見える海岸に住む日本人たちは

持ってたりします。

 

海外に住むと、色んな常識を覆されます(笑)

そして、いろんなことを、考えさせられる。

日本程に、安定した様に見える生活は得られない。

 

でも、それでも、海外は魅力的だと思う。

 

語学力の壁は、時間が必ず解決してくれます。

文化の壁も、ある程度は、時間が解決してくれます。

 

そして、いつの間にか、知らぬ間に、自分らしさというものを、自分が発掘している。

 

刺激というよりは、

自分という人格と、自分の目指していくものが安定していく感じが、

回りの環境がどんなに変わっても、

きっと、最後には大切なものは見失わずにやっていける、という自信に少しづつ変わっていく気がします。

 

それこそ、真の安定ではないかと。

 

 

と、

がんばれ、自分。

と思いながら、今日も夕焼けの地中海をズート眺めているのでした。

 

チャンチャン。