バルセロナから学んだこと

バルセロナの独立運動が日本でも、ニュースになってるようで。

こちらマドリードでも、スペインの国旗をマントのように体に巻いた老若男女を街にで見かけるようになりました。独立反対デモに参加してきた人と思われます。

バルセロナには、私がまだまだ知り尽くせない、彼らの歴史があり、スペイン軍に負けスペイン王国になってからも様々な差別を受けてきたんだと、それの何が民主主義だと、主張しているのではないかなと推測します。(て、私もよく勉強できないのですがw)

私個人的には、賛成でも反対でもないのですが、
私みたいに、今のことで頭がすぐいっぱいになってしまう人間からすると、

なぜ、何十年もの昔の思いは(特に憎しみとか悲しみ)世代を越えても、色褪せず人の中に残り続けるのだろう。。と、
そこに、興味を持ちます。


それは両親や社会からの教育なのでしょうが、
なぜ、世の中は人を憎む様な教育をするのか。

それは、自分たちが被害を受けたと思うから。
それは、’自分たち’という一つの団体(仲間)があったと思うから。。なのかぁ。と思ったりします。

でも、今の社会、
自分がどこかのグループに属しているという感覚は果たして、約50年以上前の時代から色褪せずそのまま残っているのか。。。疑問。。

例えば、よくあることですが、

名前聞くだけで、なんだか嫌いな国てありますね。特にお隣さんの国とか、あんまり好きとは言えない。
そんな漠然なイメージは、
でもある日、困っていた自分を助けてくれたそのお隣の国の○○さんという名前を持ったひとりの人物により、簡単に変わるのです。
そして、個人は好きだけど、団体で見るとちょっと。。て、思ったりする。


私たちは、漠然と、各個人がどこかのグループ(国であったり宗教であったり。)に属していると思っている。

実際属してはいるんだと思いますが(笑)、
でも、選挙すりゃ、アメリカもイギリスも真っ二つに別れるご時勢。(という意味で、バルセロナの90%独立支持はすごいですねw)

普通に生活していても、その違う国からやってきた個人に簡単に出会うような今日この頃。

いくらイスラム国がアメリカを嫌いでも、彼らのケータイや電化製品や生活用品にアメリカの部品が入っていないとも限らない。(本当に入ってないかもしれないけど。)

なんか、グチャグチャですが、
何を思ったかというと、
一つのまとまりに見える団体でさえ、個人に分かれていて、そして、もはや、その個人の生活はモノやいろんなものを介して他のグループの個人と繋がっているということ、です。

とうことで、
実はみんな繋がって生きてるのに、
イメージに囚われて、対立して生きようとする。

人間て、おもしろいなぁ、
と動物たちに思われていると思う。絶対に。